R&B入門講座

ブルース

ブルースとは

ブルースとはアメリカで生まれた音楽のひとつです。19世紀の末頃、ミシシッピー州の黒人達によって生み出されたものと言われています。差別を受けながら、綿花畑などで重労働に従事し、苦しい生活を送っていた黒人達の心を癒すための音楽だったと言えるでしょう。もともと黒人音楽だったブルースですが、今や世界各地に飛び火し、黒人のみならず人種を超えてプレイされ、聴かれています。日本でも多くのブルース・バンド、ブルース・ファンがいます。ここではブルースについてまとめてみました。

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ジャズ用語としてのブルース

ジャズ用語としてのブルースには、大きく分けて2つの意味があります。1つは音楽理論用語、「楽理としてのブルース」。もう1つは、生き方、精神など、ある種の魂のあり方を表現する「文化としてのブルース」。1つの言葉である以上、この2つの意味は重なり合っていますが、この2つをしっかりと区別して理解することはジャズを聴き、演奏して楽しむ際には重要かもしれません。

ブルースの誕生

ブルースが音楽史の正史に登場するのは19世紀末のこと。もちろん、ブルース前史としての、「ブルースらしきもの」の系譜はそれこそ果てしなく辿ることが可能です。実際、ブルースやジャズについては、「アフリカ黒人が奴隷として大陸に連れてこられて、白人の音楽と融合してできた音楽」といった説明がなされがちです。例えば、奴隷船や農場で黒人たちが歌っていた「ハラー」と呼ばれる歌には、コール&レスポンスや平均律に収まらない独特の節回し(=ブルーノートらしきもの)など、今日のブルースに通じる音楽的要素が多く含まれていたという記録も残っています。ただ、こういった「期限辿りゲーム」にはキリがないのも確か。特に、「楽理としてのブルース」に関しては、録音による記録が存在する20世紀以前については確定的なことは何一ついえないでしょう。

ブルースの広がり

南部ミシシッピーで生まれたブルースは、やがて全米各地に広がっていきました。そして、それぞれの街で、その土地ならではの色を持ったサウンドに育っていったのです。中でもブルースの新天地として大きいのはシカゴです。40年代から50年代にかけ、多くの黒人達が南部での厳しい生活から逃れて北部の都市へ移住するようになりました。彼らは、ミシシッピー河周辺を沿って北上し、メンフィス、セントルイスなどの都市で新たなブルース・シーンを作り上げていきました。そして、その北上の旅で最も大きなブルースの1ページを作ったのがシカゴだったのです。シカゴでは、ミシシッピーからやってきたマディー・ウォーターズらのブルースマンが、ミシシッピーで培ったブルースをベースにエレクトリックのバンド・スタイルのブルースを演奏するようになりました。シカゴ・ブルース黄金期の幕開けです。これは後にロックのバンド・スタイルにも大きな影響を与えた大事件だったと言えるでしょう。

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文化としてのブルース

ここでは、ひとまず「文化としてのブルース」の誕生を1860年代に求めることにします。60年代に、ローリンズ・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックス、クリームなどブルースに強く影響を受けたロック・バンドが次々に登場し、そういったバンド経由でブルースを聴くようになった人も多かったのではないかと思います。ブルースという音楽そのものは、残念ながらメジャーな音楽とは言えないですが、他の音楽に与えた影響力はとても大きいのです。この時期、少なくとも「文化としてのブルース」の形成に大きく寄与する歴史的出来事があったからです。それは、アメリカ史上最大の内戦、南北戦争です。南北戦争が起こったのは1861~1865年のこと。南北戦争と奴隷制度の関連については、奴隷制を維持したい南部諸州と反対する北部諸州との対立から勃発、最終的には北部諸州が勝利を収め、黒人奴隷は解放される、という説明が一般的です。しかし、ここで忘れてはならないことは奴隷解放がそのまま黒人の人権保証につながったわけではない、ということです。むしろ、今日私たちがイメージするいわゆる「黒人差別」「人種差別」はこの時にスタートしたといっていいでしょう。

奴隷解放とブルース

奴隷解放は、労働市場に安価な黒人労働力を送ります。職にあぶれた白人青年たちの不満、あるいは危機感は、「解放」された黒人に向かうことになります。南部に駐留していた北軍が撤退するや、南部諸州では黒人が私的・公的に追い詰められます。1883年には最高裁が黒人への公民権保証を「憲法違反」と断じ、また90年以降、黒人の権利・権力を制限する州憲法が南部諸州で次々に定められました。人間ですらなかった「黒人」が、南北戦争を経て「人間」として認知されるや、差別・リンチがスタートしました。この時、黒人は白人にとって「愛すべき財産(=奴隷)」から「恐るべき競争相手」となったのです。とりわけ黒人が持つ肉体的・性的なポテンシャルは過剰に白人社会において脅威と見られるようになりました。ブルースは過酷な状況の中で黒人たちがつかみとった表現手段だったのです。

奴隷解放宣言

奴隷解放宣言は1862年、アメリカで公民権運動が盛り上がりを見せるのが1950年代のことですから、あしかけ1世紀近くの間、黒人への差別・リンチは行われたことになります。そしてまさにこの100年の間に、ジャズをはじめとする黒人音楽の原型のほとんどが完成するのです。黒人たちは自らのおかれた理不尽な境遇を歌に託します。どこにも出口がないように見える絶望的な状況、どん底に置かれた人間が見出す救いとはどのようなものなのか。 ブルースとは 、その答えの1つなのだと私は考えています。では、彼らはいったいどのように歌ったのでしょうか。絶望的な状況の中で人はどのように「歌う」のか・・。抑圧された黒人たちが、どん底で産み出した音楽・ブルース。しかし、だからといってそこに単純な「悲しさ」「つらさ」が歌われているわけではありません。ブルースで歌われる詞の多くは悲しみというよりは愚痴であり、その表現はそれまでの西洋音楽(=クラシック)が表現してきたストレートな「悲哀」とは異質な、力強く、陽気さすらうかがわせるものでした。悲しさと明るさ。我々には対極に思える感情が同居するのがブルースの表現の特徴です。

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