R&B入門講座

ブルー・アイド・ソウル

ブルー・アイド・ソウルとは

「ブルー・アイド・ソウル」=青い瞳のソウル=白人によるソウルミュージック、とは一体どんなアーティストを指すのでしょうか。一般的にブルー・アイド・ソウルとは、ブルースやR&Bなどの黒人音楽に影響を受けた白人ミュージシャンが自身の内側からこみ上げる熱い感情を声や楽器に移入させて、時に大胆に又はデリケートに表現した音楽と言われています。特にシンガーは、感情の移ろいや揺らぎ、喜びや哀しみを歌に滲ませる事が多く、黒人音楽から影響を受けた表現方法を使っているといえます。

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誕生

アメリカのソウル、ブルーズ、ゴスペルなどのブラック・ミュージックに熱中したイギリスの若きミュージシャンたちはこぞってそうしたものをコピーするようになりました。それが、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、キンクス、スペンサー・デイヴィスなど1960年代に登場したアーティストたちです。彼らが作るR&Bに根ざした音楽は、アメリカのブラック・ステーションでも受け入れられました。こうして白人による黒人音楽、ソウル・ミュージックが台頭してきたことで、1960年代中ごろまでに、フィラデルフィアのラジオDJジョージ・ウッズがこうした音楽を指して「ブルー・アイド・ソウル」と名付けました。いわば「ブルー・アイド・ソウル」の誕生です。

海外におけるソウルミュージック

イギリスの白人にとってのソウルミュージックは、常に「海の向こうの憧れの音楽」でした。興味と憧れの対象としていつも気になる音楽であり、モータウンを中心とするノーザンソウルやスタックス中心のサザンソウル、シカゴやフィラデルフィア、ニューオーリンズなど地域色豊かなソウルミュージックはイギリスのミュージックシーンを賑わしていました。1970年代に入ると、アメリカにアプローチする意識が生まれ、多くのミュージシャンが大西洋を渡って行く様になりました。

ソウルと黒人

黒人がある種の憤りを表現した言葉に、「いつも黒人が考え出して、白人が儲ける」という言葉があります。若者の心を掴むポップミュージックの裏には、黒人音楽の存在があったのは事実だった様です。例えばリトル・リチャードのカヴァーをパット・ブーンがヒットさせたりと、かなり早い時期から黒人音楽の影響は表れていました。しかし、黒人音楽の持つ激しさ、感情移入されたスタイルに憧れ、彼等の様に表現したいと思っていた白人ミュージシャンはそう多くはいませんでした。そんな状況の中、現れたエルヴィス・プレスリーは、彼等の様に表現したいと思っていた最も有名な白人のひとりであるといえるでしょう。ミシシッピー州に生まれたエルヴィス・プレスリーは、周囲に大勢住んでいた黒人達の熱く力強い音楽に触れ、髪型や、歌い方、セクシュアリティをアピールするアクションまで影響されていきました。それは純粋に黒人音楽への強い憧れの表れだったかもしれません。

ヒストリー

アメリカのロック、ポピュラー・ミュージックの歴史は長く黒人の音楽を白人がコピーし、それを世界に広めていくことに繰り返しでした。いわば「ものすごく濃くて一部の人にしか受け入れられないもの」を、「少し薄めて広く多くの人に受け入れられるもの」にしてきた歴史の連続です。黒人ではない人たちがやるソウル・ミュージック、黒人ではない人たちがやった音楽でソウル・チャート(R&Bチャート)でも大ヒットした曲は数え切れないほどあります。

伝説の「ブルー・アイド・ソウル」

それは1950年代初期、ロックン・ロールの誕生から始まりました。ビグ・ママ・ソーントンの「ハウンド・ドッグ」をエルヴィス・プレスリーがカヴァーし、オリジナル以上に大ヒットさせ、しかも、エルヴィスをスターにします。ファッツ・ドミノの「エイント・ザット・ア・シェーム」は、パット・ブーンがカヴァーしヒットさせます。パット・ブーンはフラミンゴスの「アイル・ビー・ホーム」やその他のブルーズ作品もカヴァーしています。プレスリーがブラック・ミュージックを歌い大ヒットさせたことは伝説なる「ブルー・アイド・ソウル」ですね。こうしたアーティストに影響を受けたアーティストが登場します。それらがたとえば、ラスカルズ、ライチャス・ブラザーズ、ボックス・トップスといったバンドです。さらに、ソウル・レコードが録音されるスタジオやそこで活躍するプロデューサーにプロデュースしてもらいソウル的な作品を作るようになります。ダスティー・スプリングフィールドなどその典型的な例でしょう。

音楽最高!!!!!

ブルー・アイド・ソウルの代表的なアーティスト

ブルー・アイド・ソウル・シンガーといってもそのタイプにはいくつかあります。アメリカでは白人達にとって、黒人のソウルミュージックは「いつも隣にある音楽」といえました。住んでいる地域や街、家庭環境によって”隣”の距離は違いますが、特に多人種が住む都市では、気になる音楽のひとつであったはずです。このようにソウルミュージックは白人達と自然な繋がりがあり、当然ながら、彼等の音楽に惹かれていく白人ミュージシャンが登場してきます。ニューヨーク出身のドゥーワップグループ、ディオン&ザ・ベルモンツは全員イタリア系、フォー・シーズンズやラスカルズ、ライチャス・ブラザーズなどが代表的なアーティストといえるでしょう。

エルトン・ジョン
フィリーソウルのシグマスタジオに出向き、MFSBをバックにレコーディングをしました。
ダスティ・スプリングフィールド
メンフィスのアメリカンスタジオでレコーディングしています。
フランキー・ミラー
ニューオーリンズまでアラン・トゥーサンを訪ねてプロデュースとアレンジを頼みました。
ロバート・パーマー
フランキー・ミラーと同様な事をしていました。
トッド・ラングレン
フィラデルフィア出身。インプレッションズ、カーティス・メイフィールドやデルフォニックスなどを、彼流にアレンジして独自の色に変えて歌っていますが、それは慣れ親しんだフィリーソウルに対する限りない愛情の表れ、と感じられます。
ロバート・パーマー
イギリスのロバート・パーマーはシグマスタジオでレコーディングしたり、アラン・トゥーサンやマーヴィン・ゲイのカヴァーをしていました。
ロッド・スチュアート
サム・クックに憧れたロッド・スチュアートは、ルーサー・イングラムのカヴァーをしたり、ローリング・ストーンズが、テンプテーションズを歌ったり、と「海の向こうの憧れの音楽」に対する表現の仕方は無数に挙げられます。
まとめ
彼等のサウンドは、アメリカのブルー・アイド・ソウル・シンガーとの違いがはっきりと表れていました。アメリカのシンガー達はスタイルを超えて、独自の音を作っていこうとする意識が出ていたのに対し、イギリスのシンガー達は典型的なソウルサウンドの中でどっぷりと浸かっていました。これはアメリカ、イギリスのブルー・アイド・ソウルシンガーの黒人音楽に対する解釈の違いといえるでしょう。アメリカ、イギリス、表現の仕方は違えど、「身体の内側から熱く込み上げてくる何か」に対する様々な表現方法、それがブルー・アイド・ソウル・アーティストに共通する精神かもしれません。
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